こんにちは!
アカシックレコードリーダーのきょんです。
『自分は何者なのか知りたい』
『自分のルーツはどこにあるのだろう』
このような問いに対して、魂に刻まれた歴史を紐解くアカシックレコードは有効だと思います。
しかし、この3次元地球では魂は肉体に入り、肉体の制限を受けながら生きることになるため、その器となる肉体のルーツも知ることができれば、より地球で生きるのがラクになるかもしれません。
『アカシックレコードはちょっとよく分からない』
『地球での過去生なら信じるけど、宇宙レベルの転生まで広がってしまうと現実味を感じない』
そんな方でも、ご自身のDNA(遺伝子)に刻まれた歴史であれば、受け入れやすいかもしれません。
本日は、太古の地球の祖先から受け継いだDNAレベルのお話をさせてください。
DNAを辿って太古の祖先に会いに行こう!
アカシックレコードリーディングを始める前から『自分は一体何者なんだろう』と思い続けていた私は、数年前とあるコミュニティの課題で、DNAから辿る自分のルーツについて発表しました。
きっかけは、さらにその一年ほど前にDNAの遺伝子検査を受けたことです。
確か当時1万数千円くらいだったと思いますが、唾液を採るだけで検査ができるので痛みもなく、占いをしてもらうような軽い気持ちで検査を受けてみました。
当時は自分の体質や疾病リスクを知るのが目的でしたが、結果票の最後にオマケのように、祖先のルーツが分かるキーワードが載っていたのです!
遺伝子レベルでみる体質や疾病リスクは、結果票を見て『ふーん、そうなんだ』となんとなく理解して終わってしまいます。
でも祖先のルーツは、太古の祖先からどういう系譜を辿って現在の私にバトンが繋がれていったのか、その物語を否応なく想像させるロマンに掻き立てられます。
私はなぜ、
集団行動が苦手なのだろう…
心配性なのだろう…
合理的なのだろう…
パーツよりも全体が気になるのだろう…
分かるようで分からなかった長年の問いの答えを探しに、そのキーワードを辿って20万年前の祖先に会いに行くことにしたのです。
ミトコンドリア・イヴから始まる人類のビッグバン
DNAで祖先のルーツを探る方法は、主に私たちの細胞にあるミトコンドリアDNAの遺伝子情報から辿る方法と、Y染色体から辿る方法があります。
ミトコンドリアDNAから辿る方法は母方のルーツを遡っていき、Y染色体から辿る方法は父方のルーツを遡っていきます。
ですので本来であれば、両方のルーツを辿ってようやく私に受け継がれている遺伝子レベルの特徴を概ね理解することができると言えるのかもしれません。
しかし、私が受けた検査はミトコンドリアDNAの遺伝子情報からみた特徴になるので、本日の記事だけでは完璧な特徴を表しているものではないということを予めご了承の上でお楽しみください。
さて、私たちの細胞の中にあるミトコンドリアDNAは母親からしか受け継がれず、その配列の特徴をずーっと遡っていくと、約20万年前にアフリカで誕生したとされる、私たちの大昔の大おばあちゃんにあたる『ミトコンドリア・イヴ』に辿り着くと言われています。
このミトコンドリア・イヴから生まれた子供たちは、やがてアフリカ大陸を出てヨーロッパやアジアへと拡散していきます。
大昔は今よりも海面が低かったので、今のインドネシアのあたりにはスンダランドと呼ばれる幻の大陸があったり、今のアラスカとロシア間も陸で移動することができました。
そして、それぞれが生きる環境下で、人類のDNAはそれぞれの変異を何度も繰り返し、それぞれの個性を持つようになります。
この個性(DNA配列)が似たもの同士をグループ分けしたものをハプログループと呼び、冒頭で私が得た『キーワード』というのは、私のDNAに刻まれた遺伝子情報が持つハプログループの型番号のことになります。
私にとって、ミトコンドリア・イヴから人類が派生していく様子は、受精卵がその後細胞分裂を繰り返していく様子や、神から私たち一つひとつの魂が分け御霊として分かれていく様子を想起させます。
まるでビッグバンのようでもあり、マニアックな私はこれだけでワクワクしてしまいます。
日本人10種のDNAハプログループとそのルーツ
7~8万年前にアフリカ大陸を出た人類の祖先が日本に辿り着いたのは、今から3万5千年ほど前です。
① ヒマラヤ山脈の南側を辿り、東南アジアを経て入ってきたグループ
② ヒマラヤ山脈の北側を辿り、中国大陸を経て入ってきたグループ
③ シベリアやモンゴルを経て入ってきたグループ
主にこの3つのルートから入ってきた祖先が、私たち日本人の直接のルーツとなります。
諸説ありますが、現在世界には約35種類のハプログループが存在し、そのうち日本人は約10種のグループで構成されています。
私たち日本人はこの10種類のいずれかに属していて、この10種のバトンを繋いでくれた私たちの祖先は、それぞれ異なる3つのルートで日本にやってきたというわけです。
10種のグループについては、DeNAのサイトの説明が分かりやすいのでリンクを貼っておきます。
例えば、東南アジアを経てきたグループと、シベリアを経由してきたグループとでは、進化を経験した環境も大きく異なります。
出発点は一人のミトコンドリア・イヴであっても、もはや全く同じDNAを持っていないであろうことは言わずもがなです。
そこに私たちの意思とは関係なく、私たちの個性や特徴を決めている遺伝子情報のパワーが作用します。
もしかしたら私たちは、この遺伝子が特徴づける個性をある程度受け入れてしまう方が、ラクに生きられるのかもしれません。
DNA遺伝子検査で見る、日本人のハプログループの割合
日本人のDNAに刻まれた遺伝子情報は、その特徴ごとに10種類に分かれます(12種類・14種類など諸説あり)。
以下の円グラフは、サブグループも含めた日本人のハプログループの割合を示したものです。
参照:「DNAマトリクス®コードとは」
一般社団法人DNAマトリクスリサーチ
https://www.dna-matrix-research.com/
例えば、日本人の4割近くを占める、最も多いハプログループは “D” というタイプです。
また、“M7” というタイプは、前編でもお伝えした、インドネシアのあたりにかつて存在していた幻の大陸スンダランドを経由して日本にやってきたハプログループではないかと言われています。
これらの各ハプログループは、身体的特徴を決めるだけでなく、脳の使い方にも影響を与えると言われているため、性格的な傾向にも差が出てきます。
ハプロタイプが脳の使い方に影響を与える?
『DNAマトリクス診断』を提供を提供している 一般社団法人DNAマトリクスリサーチ では、日本人のハプログループを、私たちの祖先が日本に来るまでに「主に広がった地域」と「いつ分岐(誕生)したか」によって、大きく4つに分類しています。
参照:「DNAマトリクス®コードとは」
一般社団法人DNAマトリクスリサーチ
https://www.dna-matrix-research.com/
ヨーロッパタイプは左脳的、アジアタイプは右脳的と言われていて、もしも私が自分のハプロタイプを知らなかったとしても、恐らく左脳寄りのヨーロッパタイプになるんだろうなと予測がついたと思います。
この4分類の性質的な傾向をいくつかピックアップすると、以下のようになります。
●ハプロD/柔和謙遜
協調性や受容力が高く素直で柔軟だが、判断力が無く他人に左右されやすい。
●ハプロM/猪突猛進
天真爛漫で行動力と自信に満ちているが、思い込みが激しく自己中心的。
●ハプロR/有言実行
他人の感情に左右されにくく交渉上手だが、頑固で責任外のことはやらない。
●ハプロN/千思万考
危機管理と情報収集の能力が高く真面目だが、決断が遅く慎重すぎて行動できない。
もしもご自身のハプロタイプが分かるのであれば当てはめてみてください。
分からなくても、ご自身の性格的傾向からどのタイプのハプロが当てはまりそうか想像してみるのも楽しいですね。
一般社団法人DNAマトリクスリサーチのサイトで、より詳しく解説されています。
ちなみに、私はヨーロッパ縄文タイプのN9aという日本人にはあまり多くないグループで(4.6%)、やはり左脳優位なヨーロッパ系でした(納得)。
Nタイプの特徴である、
●ハプロN/千思万考
危機管理と情報収集の能力が高く真面目だが、決断が遅く慎重すぎて行動できない。
なんて、もう正にぴったりなんですよね。
そして妄想爆発!
ハプロタイプが分かると、祖先がアフリカを出発してから日本に辿りつくまでの大よその移動ルートも分かります。
逆算すると、何万年前に現在のどの国のあたりにいたかもなんとなく検討がつくんですよね。
ミトコンドリア・イヴが誕生した20万年前から、日本人の祖先が日本にやってくるまでのほとんどは氷河期です。
平均でも世界は今よりも10度も気温が低い極寒の環境で、祖先は私たちに命のバトンをつないでくれているんですね。
そもそも数万年かけてDNAの変異をさせてきた縄文や弥生って、一体どんな環境だったのでしょう。
ということで、ここからは太古の時代にタイムスリップし、ある一人の祖先の目線になって、当時の環境を勝手に妄想していきます 。
一日を無事に終えられるのが奇跡だった狩猟採集民族
縄文時代に分岐したハプロタイプMやNであれば、狩猟採集の時代ですから、常に動物たちの気配を警戒していたに違いありません。
動物たちと言っても何万年も前の動物たちは、今よりも体が巨大でしたので、見つからないよう少人数で移動や狩りをしていたと思います。
狩猟採集民族と言うと勇敢なイメージもありますが、実際は一瞬の判断ミスで命を落としかねなかったでしょうから、そうそう命を懸けた勝負など挑みません。
動物たちの習性や特徴をじっくり観察し、相手が想定外の動きをするであろうリスクすらも想定していくうちに知恵がつき、やがて自分たちの何倍も大きなマンモスすらも仕留められるようになったのでしょう。
『逃げるのか、闘うのか』
『険しい山を越えるのか、海の向こうを目指すのか』
狩りと移動をベースとしたこの祖先たちは、普段は無駄なリスクを冒さなくても、いざという時はとても大胆な決断をしたはずです。
相互扶助で目指す盤石さと、空気を読むスキルの獲得
一方、弥生時代に分岐したハプロタイプRやDであれば、稲作の時代なので、生活に生産活動が入ってきます。
時間をかけて育つ作物に合わせ、縄文時代のような移動はなくなり、一つの場所に定住するスタイルになったと思います。
そこには否応なしに周りと協力することが求められ、だからこそ生活が安定していく側面もあったでしょうから、少しずつ社会の原型ができていったに違いありません。
周りに気を使い、集団行動が得意で、朝型が多く、社会性の高さがDNAに刻まれていったと想像します。
気候や季節に溶け込みつつも、収穫が安定しない年が続いてからは、大自然に対する畏敬の念が芽生え、時には豊穣を祈ったのかもしれません。
そして、いよいよ祖先は日本を目指す
3万年ほど前のある日、大陸から日本海を見つめる祖先たちを想像してみてください。
もう何か月も海を見つめて考えています。
命を懸けてまで海を渡って日本を目指すべきかを。
彼らはなぜ、わざわざ日本海の荒波にもまれてまで日本を目指そうと思ったのでしょうか。
晴れた日には大陸から日本列島がうっすら見えたのかもしれませんし、海岸に何か興味深いものが日本列島の方から漂着したのかもしれません。
いずれにしても、未知の大海原のその先の日本に、何らかの可能性を感じたのは間違いありません。
あの時の祖先が勇気を振り絞って小さな舟を漕ぎ続け、命がけで日本を目指したからこそ、今の日本には1.25億人もの日本人の魂が生きているのですね。
私はこの自分のルーツを辿る旅をして、それまで好きになれなかった自分の性質や性格を受け入れられるようになっていきました。
女性なのにかわいらしくない左脳タイプ。
でも太古の私の祖先は、いつ命を落とすか分からない環境下で、絶対確実に生き残れる術を必死に模索したから獲得したスキルなのでしょう。
目の前の現実を一生懸命に生きた証です。
集団行動が苦手で、いわゆる女子高のノリにもついていけなかった私がかつて抱えていた自己嫌悪。
でも太古の私の祖先は、危険な環境の中、子孫を残すために一人ひとりに、自分で考え生き残る裁量を与えたかったのかもしれません。
そんな風に、太古の祖先を勝手に誇りに思う自分がいました。
「それならこの性格も悪くないのかな」
「でも今の時代に合わせて、そろそろ内的な変異を起こしてもいい頃かもね」
とも感じます。
1万円程度の遺伝子検査ではその正確性は信用できないという人もいます。
太古の昔に生きていた人たちは皆、今の時代にはもういないのですから、本当のところは確かめようがないわけです。
でも、実は世の中のいろんなものが不確かなものばかりであることに、大人になると気が付きませんか?
だから、正解か不正解か、善か悪かにあまりにもこだわりすぎるのは却って意味が無いこともあると思います。
それよりも、自分なりに腹に落として納得して、そして内的な変容が得られれば儲けもの!最近の私はそんな風に思います。
DNA検査もアカシックレコードも、本当の自分を知るのにとても興味深いツールだと思います。
自分を知り、受け入れ、これまでとは違う選択や行動を少しずつしていくことで、きっと自分のことをもっと好きになれると思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます♡
コメント