メンタル不調からの脱出に効いた私の対処法【断捨離】

こんにちは!

アカシックレコードリーダーのきょんです。

私はかつて、メンタル不調から脱出するためありとあらゆることを試しました。

その中でも特に想い出深いのが、家族総出でゴミ屋敷を片付けた断捨離です。

空間がすっきりする効果はもちろんのこと、今思うとあの断捨離で家と家族と私のエネルギー的な詰まりまでもが解消され、人生が変わる一つのきっかけになったと思います。

今日はその時の体験をお話ししたいと思います。

目次

モノのエネルギーにやられてしまう

かつて30代でうつが悪化し復職にも失敗した私は、一人暮らしをやめて実家に戻ることにしました。

でも実家に戻るのとっても嫌でした。

なぜならゴミ屋敷化しつつある家だったからです。

実家にはすでに他界した祖父母の家具が置かれ、途中から同居した私たち一家の家具も加わり、気が付けば何かにぶつからずには歩けないモノに溢れた家になっていました。

母は頑張って掃除らしいことはしていたものの、モノの多さにはすっかりお手上げで片付けることをギブアップしていました。

そのため、使いたいものがすぐに見つけ出せず同じものを何度も買ったり、家中の手の届かないところには埃がたまり

風通しの悪い家になっていました。

量子力学でも言われていますが、モノには波動がありエネルギーが宿ります。

そして私たち人間は、良くも悪くも無意識のうちにその波動の影響を受けています。

しかもメンテナンスをしていない「気」にかけてあげていない状態のモノからは、重くて苦しそうなエネルギーが発せられています。

そのようなモノに囲まれて過ごしていると、私たち人間も重くて苦しいエネルギーを取り込み、だんだん鬱っぽくなっていきます。

嫌な予感は的中し、実家に戻って数日で私はその重苦しいエネルギーに参ってしまいました。

モノの扱いは自分への扱いに通じる

うつ病からの復職に失敗し、傷心で実家に戻ったのにそこはゴミ屋敷…。

家中の空気がどよ~んと重いんですよね。

家具と家具の隙間の奥なんか得体のしれないものが隠れてそうでもうブラックボックス。

実家に戻って数日で参ってしまった私は重い体を引きずって、仕方なく片付けを始めました。

と言っても家具を動かすことはできないので(そんなスペースもないし)、動かせるものを整理し、使っていないものはゴミに分別し、埃を払い、水拭きをしていきました。

断捨離をしていると丁寧に扱われてこなかったモノたちの悲しそうなエネルギーを感じます。

なんとなく、飼い主に捨てられたペットたちに似たようなエネルギーを感じるんですよね。

そして片付けながら、粗末に扱われているモノと大切にしてもらえなかった幼少期の私の思いとがシンクロしてしまい、怒りすら湧いてきました。

お母さんは昔からいっつも世間体ばかり気にして私の気持ちなんてちっとも大切にしてくれなかった。

お父さんはやさしそうに見えてただ無関心なだけで私のSOSにちっとも応えてくれなかった。

気が付くと、泣きながら掃除をしていました。

そんな日が何日か続いたある日の夜両親に向かって私は訴えました。

こんなゴミ屋敷みたいなところ私イヤだから!

違和感すら感じないほどあんたたちが鈍感でアホだから私はこんな病気になったんだ!

こんなゴミ屋敷に住んでるから正常な判断もできず子どもが苦しんでても気付かないダメ親になるんだよ!

私は長らくアダルトチルドレンで生きてきて幼少期からすでに親の前で泣くことをガマンして

きましたし、感情むき出しで訴えるなんてことはほとんどしてきませんでした。

だからこの時はかなりの勇気が必要でした。

今振り返ると私のうつは両親以外にも原因がありますが、長引くうつ病のどうにもできないもどかしさを当時は両親のせいにするしかできなかったんですね。

でも、内心は心底憎いという思いだけでなく、親を悲しませたくないという思いと、働きづめで疲れてる両親にこんな心無い言葉を浴びせてしまう自分がますます嫌いになったりと、いろんな思いが入り混じり複雑な感情がこみあげてきました。

でもそんな出来事があってから両親が片付けに参加するようになったのです。

断捨離がもたらすセラピー効果

親の前ではもちろん、誰の前でも弱音を吐かず、涙も見せずに幼少期から生きてきた私は感情が詰まりすぎてうつになってしまいました。

日に日に弱っていく私の扱い方が分からず、両親は腫れ物に触るように接していました。

怒りを露わに感情を吐き出すそんな私の姿を見て、ようやくSOSを真剣に受け止める気になったのか、それとも私の異様さに条件反射したのかは分かりませんが、その週末から両親が片付けを手伝うようになりました。

3人いれば1人では動かせなかった家具も動かせます。

母と一緒に処分するものを決め、家の外に運びだしました。

玄関先に突如現れたゴミの山を見て、近所の人たちも驚いた様子でした。

粗大ゴミ処理センターに車で運ぶこと10往復以上!

両親も体力がそれほどあるわけでもなく、週末1回では終わらず何日もかけて運び出しました。

車では運べない大型の家具はお金を払って引き取ってもらいました。

確か当時10万円近くかかった記憶があります。

ようやく床と壁が見えるようになった時、家が再び呼吸をはじめ、息を吹き返したような、そんな感覚がしました。

多少の縁あって我が家にやってきたのにろくに大切にもされず、結局ゴミとして処分するプロセスにはとても心が痛みます。

たぶん私はそのプロセスを両親に見てもらいたかった、なんなら経験して欲しかったのだと思います。

適切に管理もできないのに買うだけ買って、さらにお金と労力かけてわざわざゴミを造って、あなたたちは一体何をしてるのですか?

そんな私の思いをどこまで汲み取ったのかは定かではありませんが、3人とも黙々と作業をしながら、きっとそれぞれの立場で家中に溢れるモノと正面から向き合い対話する時間になったと思います。

それから私の状態は少しずつ快方に向かい始めました。

物理的に過ごしやすくなったというのもありますが、断捨離を通して詰まった感情が流れたことが大きいと思います。

断捨離や片付けにはセラピー効果があり、モノにはやはりエネルギーが宿ると思います。

そのエネルギーは人間と相互に影響を与え合い、モノをどんな気持ちでどう扱うかによってエネルギーも変わり、そのモノが発するエネルギーもまた私たちに影響を与えます。

この出来事から母は、モノの多さに気力を奪われ続けたのが若干トラウマとなり、その後は逆に片付けばかりするようになりましたがえー、私はミニマリストを勧めたいのではありません。

ただ【どこに・何が・どんな状態で】置いてあるのか把握できなくなったら黄色信号です。

脳のメモリを無理なく使わなくても把握できるよう整理整頓術を駆使するなり、不要なものはこまめに処分するなりした方がよいです。

できればすぐ処分するようなものは最初から買わないに越したことはありませんが。

一方で、愛着があり気にかけてあげられるモノなら囲まれててもよいと思います。

きっとそのモノたちはあなたに大切にされてよいエネルギーを発していると思います。

部屋の中を愛着のあるもので満たすことはうつ病で心身が疲弊しきっている時にも安心感を増幅させるのでお勧めです。

この時は私はまだカウンセリングに通っていて(カウンセリングについては下記の記事を!)、先生は泣きながら報告する私の話を興味深そうに聞き、私の言葉を繰り返しました。

「そうでしたか。モノが大切にされていなくて可哀そうだと感じたのですね。そして3人で協力して片付けたら家が喜んだように感じたのですね」

そういって、少し満足そうに微笑みました。

私がこの出来事が自分を快方に向かわせたことに気づいたのはもっとずっと後のことでしたが、先生はきっと何か手ごたえを感じていたのでしょうね。

最後まで読んでくださってありがとうございます♡

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