こんにちは!
アカシックレコードリーダーのきょんです。
私がうつ病に苦しんでいたピークは20年ぐらい前のことですが、先日久々に日本のメンタル不調者数の推移を調べてみたら、今もなお右肩上がりで増え続けていることが分かりました。
日本の人口は減っているのに…です。
この状況から自分を守るためにはどうしたらよいのか、かつて死を選ぶほど苦しんだ私自身の経験から思うことを書いてみたいと思います。
生きづらさを生む認知の歪み
通院も服薬もしているけどメンタル不調がよくならない…
病院に行くほどではないけど、長い間生きづらさに苛まれている…
そのような場合は、世の中を正しいサイズ感で見れていないのかもしれません。
つまり、よく言われる「認知の歪み」ですね。
この言葉を定義した精神科医のアーロン・ベックは「認知療法」という心理療法を開発し、現在でも多くのカウンセラーが利用しています。
認知療法では「苦痛を感じている人の考え方は硬直化しやすく、歪んだものになりやすい」と考えられていて、この思考の硬直化を緩めて歪みを正すのが認知療法になります。
20年前の私は、自分の症状を治す方法も片っ端から調べていましたから、当然「認知療法」や、後に発展した「認知行動療法」の存在についても知っていました。
でも、当時の私は心の底では「自分の考え方は至極まともであり、歪んでなんかいない!」と反発していたんですね。
ただでさえ自己肯定感がダダ下がりなのに、加えて「あなたの考え方は歪んでいます」なんて言われても、これ以上受け入れたくなかったんだと思います。
でも、今の私が冷静に当時の自分を俯瞰すると、やはりとても歪んでいたと認めざるを得ません。
自分を異常に小さくひ弱な存在であると矮小化し、反対に回りや社会を異常に巨大化して捉えていました。
この考え方を正常なサイズ感に戻さない限り、いくらまじめに通院や服薬をしていても根本解決にはつながりにくいと思います。
事実私は通院+服薬ではほとんどよくならず、薬はどんどん強いものに変わっていくのでそのたびに副作用に苦しみました。
そんなことを繰り返すうちに「病院に通っていても治らないなんて、自分はどれだけダメな人間なんだ」と歪んだ認知をさらに歪ませていくことになりました。
ここで注意が必要なのは、通院や服薬を漫然と続けるのはよくありませんが、通院や服薬は無駄だという意味ではありません。
メンタル不調を長引かせないためには、通院や服薬で状態をある程度安定させた上で、カウンセリングも上手に活用して、正しいサイズ感で物事を捉える感覚を取り戻すアプローチが大切だと思います。
ただ、カウンセリングはそれなりにエネルギーを使うので、導入に不適切な時期もあり、やみくもに始めればよいということでもありません。
気になる方は一度ドクターに相談されるとよいと思います。
幼少期の感情が、その後何色の眼鏡をかけて生きるかに影響する
世の中を正しいサイズ感で見れないことが、生きづらさの原因の一つになっていると思いますが、その認知の歪みを持つことになった原因がさらにあるはずです。
よく言われているのは幼少期に受けた心の傷が原因となっているという説ですね。
これについては私も散々自分の生きづらさの原因を深掘りしてきて、概ね同じ意見を持っています。
私はアカシックレコードリーダーなので、生きづらさの原因が過去生から持ち越されたものであったり、宇宙由来の魂であるがゆえの影響についても範囲に入れていますが、その話を持ち出すと複雑になってしまうので、今日は今世に限定して話していきたいと思います。
今世に限定していくと、生きづらさの原因は幼少期の親との関係や家庭環境であったり、学校や友人との関係などがきっかけで作られた心の傷である場合が多いことに私も同意します。
なぜなら、幼少期に感じていた感情が、その後の人生で本人が捉える世界観のベースになっていくからです。
この時期にありのままの自分を受け入れてもらえたり、惜しみない愛情を受けて安心感に包まれて育ったのであれば
世界は安心で楽しい場所であり、私は価値ある人間で、何か起こってもたいていのことはどうにかできると思えるでしょう。
しかし、何らかの理由で心理的に安心感を感じて過ごせなかったり、親はしつけのつもりでも子供が過剰な恐怖心や苦しみを感じていると、その後の人生で映る世界はだいぶ違ったものになっていきます。
世界は恐ろしい場所であり、私は弱くて無力な存在で、私が価値の無い(または悪い)人間だからそのような世界に生きなければならなくて、何か起こったら自分ではどうすることもできないと。
実際は同じ一つの世界を共有して生きているにも関わらず、両者はまったく別の世界を生きることになります。
そして、世界は恐ろしい場所だと思って大人になった親は、よほど注意しない限り子供にもその世界観で接してしまうので、この世界観は親子間で受け継がれやすいのです。
生きづらさに対する子どもなりの納得
私の場合、幼少期は父の仕事の都合でとても転勤が多く、とある小学校ではいじめに遭いました。
学校に行きたくないと訴えても不登校を許してくれる親ではなく、玄関の外に無理矢理出されて鍵をかけられてしまうのです。
サボったところで学校から親に連絡が入り、叱られるのは目に見えているので、嫌で嫌でたまらない学校に行くしか選択肢が無かったわけです。
仕方が無いので学校に行ってからショックを受けないよう、毎朝想像でき得る最悪のいじめられ方で苦しんでいる自分を先に想像しておき、心の中で「嫌だ!」と叫ぶ自分を殺してから感情の無い自分で毎日学校に通っていました。
何も悪いことをしていないのに、なぜそんな生き方をしなければならないのかを、幼い子どもが上手に納得するのはとても難しいです。
結局、私という人間の質が悪いから、欠陥があるから、価値が無いから、こういう目に遭うのは仕方が無いのだ、という納得のさせ方しかできないわけです(これが外に向かう子どもも当然いると思います)。
成長しているのか、無理しているのか
生まれてすぐの状態を完全な真円「〇」で例えたとします。
なるべくこの真円のままで大人になれればよいのですが、幼少期にネグレクトや条件付きの愛ばかりで育ったり、いじめや暴力などで自分の存在を否定され続けると、誰かに頼らなければ生きていけない子どもにとっては
受け入れてもらえない = 命の存続の危機
となってしまいます(大人にとっては村八分のようなもの?)。
そのため、「〇」のままでいては愛されない(生きられない)んだと思い始め、「〇」とは別の形になろうとし始めます。
この時に何を基準にその形を決めるかというと、受け入れて欲しい相手の基準に合わせるので、もうそこから恐怖の感情をベースとした他人軸の習慣が始まりますね。
他人軸って人によっては相当幼い頃から始まっていると思います。
「〇」自体は本質で変えることができないので、無理矢理別の型に押し込んだり、別のパーツをくっつけてみたり、何かで覆って見えなくしたり。
その過程で、くっつけてみたパーツの良さに気づき、それを取り入れて成長することもあると思います。
もしくは、パーツで飾っているのが馬鹿馬鹿しくなり、自から手放すこともあると思います。
しかし、何ら良さを感じていないのに手放すことができない場合、わざわざ強力な接着剤や更なるパーツで鎧のように固めていかざるを得ません。
この手放しを難しくさせるのが、幼少期にどれだけ恐怖心を強く感じたかなのではないかと私は思います。
言い方を変えると、幼少期は大人よりも無力なので、ちょっとしたことでも大人よりも恐怖を感じやすいはずです。
怖いからと、居心地が悪くても我慢して鎧を厚くすればするほど、大人になるにつれて本質の自分とのギャップは大きくなります。
やがてそのギャップを感じないように麻痺させるしかなくなり、この状態が「本当の自分が分からない」「自分のやりたいことが分からない」ということにもつながっていきます。
それでもその状態を続けていると、ある日とうとう私のように訳の分からないホラー現象に苛まれるようになり、メンタル不調を発症してしまうのではないでしょうか。
生きづらさに疲れたあなたがつかまっているものは何ですか?
人は自分よりも大きなものにつかまっていると安定しますよね。
でも、あなたがつかまっているものが、一見大きく見えても一方的にコロコロ変わるものであったり、あなたらしさを奪うものなのであれば、それにつかまっている限り生きづらさから本当に抜けることは難しいかもしれません。
科学で証明されたものですら、後に別の科学で否定され、事実が変わるのですから。
親の目、他人の視線、学校の成績、会社の評価…。
無視しろとは言わないまでも、誰かのエゴや都合でコロコロ変わり得るものです。
それらが自分よりも大きく見えるからといって、果たして本当に盲目的につかまるべき対象なのかは自問自答する価値はあると思います。
盲目的に合わせたところで、それらはあなたが死ぬまであなたの人生の面倒を見てくれますか?
あなたの人生のある一定期間だけ、接するものでしかないのではないでしょうか。
以前、神の存在を強く信じている人は、そうじゃない人に比べて逆境に強いという説を聞いたことがあります。
宗教をすすめたいわけではありませんが、その点では日本人よりも、明確に神の存在を強く信じている人が多い外国人の方が、困難に立ち向かう力が強いのだといった内容でした。
賛否両論あると思いますが、それが本当なのであれば自分(に内在する神)を信じる力が強いのだと思います。
ですから、神じゃなくてもよいので、つかまる対象をあなたにとってより不変的なものに少しずつ変えていくと、より安定していくかもしれません。
自分より強いか大きいかで選ぶのではなく、より不変的であなたらしさを奪わないものを基準に選んでみてください。
幼少期の惜しみない愛情は、心の免疫力を高める
ここまで、幼少期に受けた心の傷がその後の人生の生きづらさに繋がっていく可能性について考えてみました。
もちろん、子どもの頃はなんら問題なかったとしても、大人になってからトラウマのような出来事に遭い、深く傷つくことだってあります。
その出来事の程度にもよりますが、もしもその人が子どもの頃に安心感や肯定をベースとした環境で育ったのであれば、健全な抵抗力があるので、自力で乗り越えられる力も持っていると思います。
幼少期に受けた惜しみない愛情は、お母さんの母乳と同じで心の免疫力をつけてくれるはずです。
しかし、前回までにお伝えしたように、幼少期を不安や否定をベースとした環境で過ごさざるを得なかった場合は、大人になってから起こる日常のささいなトラブルにも挫けてしまうほど、自己肯定感が低くなっていることはめずらしくないと思います。
長年自己肯定感の低さに苛まれている場合、自分は無力であるとかたくなに信じ切ってしまっているので、心理的には依存傾向が強くなっていく可能性があります。
自分は無力だから誰かのサポートが無いと生きていけないという認知の歪みです。
これは、子どもは無力であり、親の存在が無いと生きていくことはできないという、幼少期の構図をそのまま持ち続けて大人になった感じがしますね。
この幼少期の満たされなかった無力感や愛情を、大人になってから過度に他者で埋めようとするのが依存なのかなと思います。
不安が高まるのであれば、それは依存かも
では、誰かに依存できている間は安心なのでしょうか?
少なくとも私はNoでした。
私自身がメンタル不調に悩んでいた頃は、誰かとお付き合いする度に相手に精神的に依存していました。
アダルトチルドレンで表向きはバリバリ働いていましたが、内面はあまりにも自己肯定感が低すぎて、自力で立っているイメージなどまったくありませんでした。
人に頼ってはいけないということではありませんが、健全に頼っているのか依存しているのかは自分にしか分かりません。
当時の私のように依存癖がついてしまうと、他人が与えてくれる安心感は一時的なものであって続かないので、むしろどんどん不安が高まります。
もしも不安が高まるのであれば、それは不健全な依存なのかもしれません。
不安なので見捨てられないようにと、余計に本当の自分から離れたふるまいになり、生きづらさも増していくので、じわじわと負のスパイラルに引きずり込まれていきます。
よく芸能人で精神的に不安定になりやすい方がいますが、内的な心理は似たような感じなのかもしれません。
依存している対象が人であれ、お金であれ、物であれ、それらが自分にとっての理想の価値を永遠に保ってくれる保証などどこにもありません。
結局世の中のほとんどのものは諸行無常なわけですから、それらに執着するように生きていては真の安心感を得るのは難しいと思うのです。
執着=依存と仮定するならば、お釈迦様はこの負のスパイラル構造を分かっていて、苦の原因は煩悩にあると説かれたのかななんて思います。
生きづらさに疲れたあなたが、本当に信じるべきものとは?
では一体どうすればよいのか?
私自身の今のところの結論としては、自分をパワーアップさせるしかないのではないかと思います。
そんなの当たり前と思われるかもしれませんが、ちょっと違うんです。
前回お伝えしたように、親の目、他人の視線、学校の成績、会社の評価などを盲目的に意識して、本来の自分とは異質なもので自分を固めて強くなった風では見せかけの強さなので結局続かないのです。
他の何者にもならない本来の自分、自分軸のままでパワーアップさせるということなんです。
つまり、まず第一に自分を信じる、自信を持つ、自分としっかりつながる。
人は自分の魂に一致して、自分を信じて生きている時が最もパワフルです。
だから本来自信を持つのに理由なんていらないのですが、自分以外の何者かになろうとしたり、頼りすぎたりしたことで、原点に戻るのにわざわざ理由が無いと動けなくなってしまったのかもしれません。
だから今、あなたが生きづらさを抱えてどうにも苦しいのだとしたら、どうか自分を1番に信じる勇気をもってください。
自分を信じる理由を探す必要なんてなく、ただ自分の魂が愛しいという本当の自分を思い出してくださいね。
カウンセリング、ヒーリング、コーチングなど、世の中には心の傷を癒し、ブロックを外す方法はたくさんあります。
もしもあなたが過去生や輪廻転生を信じる方なのであれば、私はアカシックレコードリーディングという方法で、あなたが本当の自分に戻るお手伝いをすることができます。
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最後まで読んでくださってありがとうございます♡
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